生きるとは何ぞや。

何故私は生きるのか

人生に後悔しない生き方。

私の人生、遠回りで、ゆがんでいた時期もありましたが、

これでよかったんだと思いました。

今日、恩師に会って、私の中で何かが変わるようなと、なにか感じてはいた。

誰に引け目を感じる必要もない、劣っていると感じる必要もない、

私は歩んできた人生を、胸張って、背負っていくことができるんだと思えました。

あの頃から、みんな優秀でした。今もそれぞれの道を進んでいらっしゃいます。

私も、頑張ろうと思えました。かつての友の様子を知ることができて、

ほんとに幸せ者です。感謝です。

今までの間違いのすべてが、今日につながっている。いまここに先生が来てくれていている。

私はとても弱いですが、その弱さも自分自身で、

たくさん間違えて迷惑かけてきた自分もまた自分で、

人と関わることが苦手な自分もまた自分で。

 

人生においては、何も構える必要もない。恐れる必要もない。必死に走りだそうとすることもない。

時が来れば、そうあるべき行動が、自然ととれるのだと学んだ。

時が来れば、会うべき人へ会えるのだと学んだ。

人が、私に課題を運んできてくれ、人が、なすべき事、使命をくださるのだ。

私はなぜ生きるのか、それは、私が生まれたから。

私が生きるのは、なすべきことがあるから。

なすべきことは、まっすぐに生きていれば自然と、他人が運んできてくださる。

すべての人を大切にしなくてはならないことを学んだ。

わたしは、なぜ生きるのか、生きる意味が分からないと思っていたが、

すべての人から、生命から、宇宙から、生の探求心を与えられていたことが分かった。

 

不幸な人生などない、あるのは、自分の精神のあり方なのだ。

すべて必然であったのだ。私は、ここまでの人生において、生を探求する役割が与えられていたのだろう。

だからこそ、死ぬほど苦しんだのだろう。

 

 

私は、生きる上で大切なことを今日学んだ。

 

 

まっすぐ生きるというのは、なりたい自分をいつも心に、目の前に現れた現象を、事象を、すべて受け入れていくこと。心の声に従った結果、つらいことになったとしても、それは必然、私に与えられた課題として受け取ることが大切だと学んだ。

ひとつの事象に対して、「つらい、くるしい、不幸だ」と思うか、

「私に与えられた課題だ」と思うか、

おそらくたぶんおそらく後者の視点で生きる人のほうが、魅力的でいきいきしているとおもわれます。

とても幸せです。